ハリウッドスターによく聞く“セックス依存症”なんじゃないの?!
この証言が本当だとしたら…完全に暴行になるでしょ~。
これでもアサンジは何もしてない!!って言い張るのかなぁ~???
暴行癖はあるけど、ウィキリークスで正義を語ってるとしか思えない!!!
◆ウィキリークス編集長ピンチ 暴行、レイプあったと裁判所認定(2月28日JCASTニュース)
就寝中で無力なことにつけこんでセックスを強要
1. 暴行。「(女性の)腕を押さえ、脚を無理やり押し開き、上半身を重ね体重を寄せたので(女性は)身動きができなかった・・・」というような表現が判決文にあり、このベッドでの行為は英国でも「暴行」になると裁判官は判断した。
2. コンドーム。セックス前にコンドームを使うことにアサンジは同意したにもかかわらず、結果的にコンドームを装着しないでセックスをした。女性はこの事実を後で知る。(コンドームが途中で破れたといわれている)。これも暴行の一種と裁判官は解釈した。
3. 性的いたずら。アサンジは「横になって勃起したペニスを彼女の身体に押しつけた」と判決文に書かれてある。この行為も英国で「いたずら」あるい「性的犯罪」と見なされるとされた。
4. レイプ。アサンジは女性が就寝中で無力なことにつけこんでセックスを強要した。英国でも「レイプ」(強姦)になると裁判官は判断した。
以上のようにアサンジに対する性的犯罪の容疑は晴れなかったので、裁判官は身柄の引渡しを決定したわけだ。全面敗訴といえる判決を覆し、アサンジ側がスウェーデン行きを回避するには強力な弁護が必要になる。
(在米ジャーナリスト 石川幸憲)
接近禁止命令でも…91メートル先には立っててもいいんでしょ?!
イヤじゃない?!目が良かったら見えちゃうし><!!
あたしだったら気持ち悪くていやだなぁ~。
こういう妄想壁のある人って…平気で白々しくウソを言うから怖いよね…
クリントンの息子らしいよ(笑)息子なんていね~よ!!!
◆S・ストーン宅に侵入の男、裁判所が接近禁止命令(2月25日ロイター通信)
[ロサンゼルス 24日 ロイター] 米女優シャロン・ストーンさんのロサンゼルスの自宅に侵入した男が24日、ストーンさんとストーンさんの子どもの100ヤード(91メートル)以内に近づくことを禁止された。この男は、自分はクリントン米国務長官の息子だと妄想しているという。
芸能情報サイトTMZドットコムが入手した裁判所の文書によると、ストーンさんは自身と3人の子どもたちの安全が脅かされていると主張していた。
精神疾患があり統合失調症の可能性もあるという38歳の男は、今月オハイオ州からカリフォルニア州に移動。逮捕時には警察に対し、2歳で映画「英国王のスピーチ」の脚本を書いたと語り、母親のクリントン国務長官がストーンさんから家を購入し、自分にプレゼントしたと話していた。
3月9日に裁判所で審問が予定されており、男に対する接近禁止命令は延長されるとみられている。
ガスが漏れて爆発って…!!!恐ろしい…。。。
1階部分は柱だけが残るって…威力がスゴイね!!!
この裁判所に保管してあった裁判資料とかは大丈夫だったのかなぁ?!
1階にあったら間違いなく跡形もなく無くなってるだろうね…。
◆裁判所爆発、ガス漏れ・周囲100メートルに被害=重慶(2月22日サーチナニュース)
重慶市大渡口法院(裁判所)で22日午前6時40分ごろ、爆発が発生した。建物内の食堂部分でガスが漏れ、何らかの原因で引火したとみられている。同爆発で、3人が軽傷を負ったことが確認された。中国新聞社が報じた。
爆発が発生した食堂は裁判所建物の1階部分にあった。建物1階部分は外壁が吹き飛び、柱だけが残った。2階や3階部分でも、窓枠がはずれたりガラスが砕け散るなどした。
裁判所中庭にある商店は、壁や屋根の一部が吹き飛んだ。あたり一面に、ガラスや窓枠、建物外装用の建材が散乱した。
裁判所敷地の隣は高層の集合住宅で、住民は「寝ていたところ、巨大爆竹のようなごう音でたたき起こされた」、「耳の中で蚊が飛ぶようなジーンという音が残り、かなりたってから消えていった」などと話した。
爆発地点から100メートル内にある住居で、窓ガラスが割れるなどの被害が出た。(編集担当:如月隼人)
環境汚染に関しては世界共通で、企業も国も簡単には認めないんだね!!
日本だって水俣病とかイタイイタイ病とか、国や企業がなかなか責任認めなかったもんね!!
環境汚染って怖いよね…。あたしたちの知らない所でいつの間にか汚染されていくんだもn!!
被害を受けた人達へ、見合った保障をして欲しいと思う!!
◆アマゾン住民がシェブロンに勝訴、双方が控訴へ エクアドル (2月16日CNN.co.jp)
(CNN) 南米アマゾンの住民が米石油大手のシェブロンを相手取り、原油産出に伴う環境汚染で健康被害が出たなどと訴えていた裁判で、エクアドルの裁判所はシェブロンに対し、アマゾン住民に86億4000万ドルの賠償金を支払うよう命じる判決を言い渡した。双方ともこの判決を不服として15日までに控訴の意向を表明している。 原告団は判決を受けて記者会見し、「歴史に残る」判断と評価した。しかし「環境被害の回復のためには80億ドルでは不十分」として控訴する意向を示した。
一方シェブロン側は14日のプレスリリースで「エクアドルの裁判所の判断は不当であり、強制力はない」「不正の産物であり、正当な科学的根拠とは逆行している」と非難した。この裁判は当初アマゾンの住民3万人が石油会社のテキサコを相手取り、1993年に米ニューヨークの裁判所に提訴した。その後エクアドルの裁判所に移管され、テキサコを買収したシェブロンが引き継いだ。
原告側は裁判の中で、テキサコが原油産出の過程でさまざまな基準を守らなかったために環境が汚染され、同地に住む先住民人口を激減させたと主張していた。
原告側によれば、テキサコがアマゾンの水路に大量の有害廃棄物を投棄したり、廃棄場を放棄したり、ガソリンを燃やしたり、パイプラインの破裂で原油を流出させたりしたことはシェブロンも認めたという。この地域ではがんにかかったり健康被害を訴えてたりしている住民の割合がほかの地域に比べて高いと原告側は主張している。
土屋被告は6つの事件に絡んでたのか~
この事件は日本だけじゃなくて、世界中を震撼させたよね!!
まさか、平和な日本で化学兵器を使った無差別テロが発生するなんて誰も考えてなかったでしょ?!
オウム裁判ではまだ2人も上告してるんだね!!
上告する意味が分からないよ…。
◆オウム裁判:元幹部の土谷被告、死刑確定へ 最高裁、上告棄却 化学兵器を開発(2月16日毎日新聞)
地下鉄、松本両サリン事件など6事件で殺人罪などに問われたオウム真理教元幹部、土谷正実被告(46)に対し、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は15日、被告側の上告を棄却する判決を言い渡した。1、2審の死刑判決が確定する。弁護側は「教祖や教団の影響から完全に脱却し、反省を深めている」と減刑を求めたが、小法廷は「公判で帰依の姿勢を貫いており、真摯(しんし)な反省の情を認めることはできない」と退けた。【伊藤一郎】
一連の事件で死刑が確定するのは教団元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(55)らに続き11人目。裁判が続いているのは1、2審で死刑判決を受けて上告中の中川智正(48)、遠藤誠一(50)両被告だけとなる。
小法廷は、サリンやVXなど化学兵器開発の中心人物とされた土谷被告の役割について「凶悪な犯行の実現に極めて重要な役割を果たした」と述べた。
判決後、地下鉄サリン事件で霞ケ関駅助役だった夫(当時50歳)を亡くした高橋シズヱさん(63)は「いまさら謝罪といわれても逆に憤りを感じる」と語った。同事件の被害者で今も寝たきりの浅川幸子さん(47)を世話している兄一雄さん(51)は、「死刑判決が出ても、妹の姿や私たち家族の生活は何も変わらない」と話した。
判決によると、土谷被告は93年以降、他の幹部らと共謀してサリンや猛毒のVXを製造。94~95年、松本サリン事件で11人▽地下鉄サリン事件で26人▽VXで3人を殺傷するなどした。
◇「被害者に謝罪したい」 便箋18枚、本紙記者に手記
「被害者に謝罪したい」。1月31日に東京拘置所で記者と面会した土谷被告は、そう心境を語った。「麻原のことを思い出すと憤りがわく」と、2審まで固持していた「尊師」への帰依からの脱却も明言。「法廷での遺族の証言に胸を痛めていた」などと便箋計18枚につづった手記も、面会後2回にわたって寄せた。
土谷被告は1、2審段階で「尊師を呼び捨てにした」として計3度弁護人を解任するなど、松本死刑囚や教団への帰依を明言していたが、弁護人によると上告後に反省と謝罪の意思を示すようになった。現在は、08年に獄中結婚した妻(36)が連日面会に訪れている。
15日午後、妻から判決を聞き、「当然の結果。被害者の方々に生涯謝罪の気持ちを持ちながら、執行の日まで自分に何ができるか考えたい」と話したという。【伊藤一郎】
◇遺族の証言に言葉が見つかりません
<土谷被告の手記の要旨>
一連のオウム事件の犠牲になられてしまったご遺族、被害者の方々へ心の底からおわび申し上げますと同時に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
95年に私は逮捕されました。その時点での私は、捜査が進むにつれ、もろもろの出来事が麻原死刑囚(以下、Aと表記)の説法通り「国家権力による陰謀」であることが判明していくことを期待していました。ところが逆に、捜査が進むにつれてAの言葉がうそであることが次々と暴露されていきました。
私もAから気持ちが離れそうになったのでした。ところが、ある宗教体験をし、それまで以上のはるかに強いAへの帰依心が芽生えてしまったのでした。そのため、私は初公判で職業を「麻原尊師の直弟子」と述べ、一貫して帰依を表明し続けていました。
私に転機が訪れたのが、A法廷への弁護側証人としての出廷経験でした。私の期待に反してAは一言も証言しないまま、1審を終えてしまいました。このことで私に迷いが生じました。教団とのあつれきが生じ始めたのも、04年春ごろからでした。私はAには堂々と証言してほしかった。「Aは弟子をほっぽらかしにして逃げたのではないか」という思いが日を追うごとに強まっていき、Aへの帰依心は弱まり始め、埋めがたい溝がひろがり始めていました。
Aへの帰依心がはっきりと崩れ始めたのは、06年暮れ、A裁判の1審判決日におけるAの挙動について記されている雑誌記事を読んだ時でした。「Aは詐病に逃げた」と思うしかなくなりました。
97年に地下鉄サリン事件のご遺族の証言を聞き、非常にこたえました。帰依心が揺らがないよう懸命だった私ですが、やはりご遺族の証言には耐えられませんでした。ご遺族の証言に対して何と言えばよいのか、言葉が見つかりませんでした。「すいませんでした」では、あまりに軽すぎる。
「自分自身の気持ちに素直でいれば良かったんだな」と私は悔悟の念にとらわれるのです。自分自身の考えでは上層部の指示や決定を「嫌だ」と思ったけども、「無心の帰依」「無智の修行」だと盲従し、一連の凶悪犯罪に加担してしまったのでした。
私がAに望むことがあるとするならば、「詐病をやめて、一連のオウム事件に関連する事柄について述べてほしい」という一点に集約されます。